お金も夢も希望もない、この先どうなるんだろう?
僕には人に誇れるものが何ひとつなかった。
はじめまして、矢野文隆(やのふみたか)と申します。ヤフオクとamazonで物販を行っています。
ヤフオク歴は16年、amazonは4年ほどで実績としてはこのような感じです。
最高月商
ヤフオク1200万
amazon1100万
現在使っているヤフオク メインIDの評価です。
もくじ
タオルの町、今治市生まれ
造船とタオルの生産、焼き鳥などが有名な人口16万ほどの小さな町、愛媛県今治市(いまばりし)というところで生まれました。
1977年生まれの42歳です。
10代の頃からミュージシャンを目指していた僕には”就職”という選択肢ははじめからありませんでした。
高校の授業はさぼってばかりで、いつも卒業できるギリギリの出席日数を計算していました。
授業中はずっとギターのフィンガートレーニングをしながら、いつもメンズノンノやポパイ、ホットドッグプレスなどの雑誌を読んで過ごしていました。
同級生が就職や大学進学でバタバタしていた頃、僕は根拠もなくいずれ自分が音楽でメジャーデビューすることは当たり前だとすっかり思い込んでいたのです。
その様子がしっかりと伝わっていたのか、担任の先生もあきらめた様子で、進路指導の時でさえ何も言われることはありませんでした。
高校の卒業式の日、「好きな音楽で食べていく」という決意を新たにするために髪を金髪にしました。
そして音楽活動を優先にするため時間に融通がきくフリーターになります。
それから数年の間、どっぷりと音楽漬けの毎日です。
毎日毎日、ギターの練習とバンド活動に明け暮れていましたが、いっこうに芽が出ませんでした。
そのうち「自分は音楽に向いていないんじゃないか?」という気持ちがだんだんと強くなってきました。
プロミュージシャンメジャーデビューへの道
しかし、ある時チャンスがやってきます。
デモテープを送っていた某大手レコード会社から連絡があり、ライブを見に来てくれるとの事でした。
「これはいけるかもしれない・・・」
本番のライブに向けてこれまで以上に必死で練習をしました。
時には意見の衝突でバンドメンバーと何度も何度もケンカになりました。
そしていよいよライブ本番の日を迎えました。結果はというと、精一杯がんばりましたが、
ダメでした・・・
そのショックとそれまでのメンバーとの度重なる衝突に心が折れてしまい、そのライブを最後にバンドから抜けました。
それからだんだんとギターを弾かなくなり、あれほどのめり込んでいた音楽からも遠ざかるようになりました。
そして毎日バイトと暇があればゲーセンに入り浸るようになり、やる気もなくただ時間を削るようにぼんやりと過ごすようになりました。
バンドをやめてから打ち込むものがなくなってしまい、毎日、何をすればいいのかわからないのです。ただひたすら時間を浪費するだけのつまらない日々を送っていました。
人生を激変させるヤフオクとの出会い
音楽をやめてしばらくして、ひょんなところからヤフオクの存在を知ります。
毎日、とてもヒマだったので、試しに何点か着なくなった服を出品してみると、すぐに落札されました。
しかも買った値段とほとんど同じくらいか、それよりも高く売れるものもありました。
これにはビックリしました。
今までバイトの時給でしか稼いだことがないのにそれ以外の方法であっさりと稼げてしまった事にかなり興奮したのを今でもよく覚えています。
これが僕のネットビジネスの始まりでした。
すっかりヤフオクにのめり込んでしまった僕は、身の回りの不用品を売って手にしたお金で、フリマやリサイクルショップで売れそうなものを買ってきてヤフオクに出品するようになりました。
そしてヤフオクからの収入はすぐにアルバイトの稼ぎを軽く超えてしまうのです。
「稼ぐってこんなに簡単なんだ・・・」
実家が商売をしていたので稼ぐということが好きだったのかもしれません。
常にインターネットや雑誌で情報を集めて、人気ブランドの服を転売していました。
24歳の時に起きた人生最大のピンチ
24歳の頃、ある出来事が起こります。
当時つきあっていた彼女を妊娠させてしまったのです。
しかも・・・その時の僕はヤフオクからの収入がだいたい二~三十万ほどあったものの、無職でした。
妻の両親に挨拶する時には、ただ「がんばります!」と、それだけしか言えませんでした。
恐らく僕のような状況の挨拶って、何回か殴られることを覚悟していたのですが、そんなことはなく無事、結婚することができました。
(ちなみに結婚式はあげていません)
それからすぐ、職もないのでとりあえず僕の実家の家業を手伝うことになり、50キロほど離れた今治市に引越ししました。
全国インターネット普及率ワースト1の町へ引っ越し
冒頭でも少し触れましたが、今治市は人口16万人ほどの小さな町です。
その当時、全国インターネット普及率ワースト1という恐ろしいところです。
実家の仕事はと言うと、看板屋、いわゆる肉体労働系。
目がくらむような高いところにも登るし、20〜30kgのセメントの袋をわっせわっせと数え切れないほど運んだりしました。
学生の頃、雨の日は学校を休むと決めていた草食系の代表のような体力も根性もない僕にとってはまさしく地獄。
中途半端にミュージシャンへの道をあきらめ、定職にもつかず、単なるニートだった僕が現場で使い物になるはずがありません。
現場に飛び交う兄の怒号
毎日、兄から「このバカ野郎!」と何度も罵声を浴び、滝のような汗を流しながらなんとか仕事が終わる頃にはいつもクタクタでした。
やがて子供が生まれ、子育てがはじまります。
そして間もなく夜鳴きがはじまりました。
はじめての子育てということもあり、僕も妻は常に睡眠不足でイライラしていました。
仕事で怒られ、家でも心休まることもなく、そして稼ぎもない・・・
計画性のない結婚で、いきなり人生がガラリと変わってしまった僕はいつも不安でいっぱいでした。
それが原因で妻と喧嘩になり、しょっちゅう家を飛び出していました。
行くあてもなく一人でトボトボ歩いていると、「お金も夢も希望もない
この先どうなるんだろう?」
ほんの少し先の人生をふと考えてみても、全然、楽しそうではありませんでした。
こんなはずじゃなかったのに・・・と、泣けてきた事も一度や二度ではありません。
その時、はじめて気がつきました。
僕には人に誇れるものなんて何ひとつなかったのです。
僕の人生を変えてくれた本
そんな生活を送りながらも、少しでも収入を増やすために空いた時間でリサイクルショップやフリーマーケットで安く買ってきたものをコツコツとヤフオクで転売していました。
いわゆるせどりと言われるものです。月に2〜3万円ほど稼いでいました。
やがてそんな副業生活にも慣れ始めた頃、「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読みました。
「金持ち父さん貧乏父さん」にはラットレースという言葉が何度も出てきます。
・ラットレースとは
働いても、働いても、一向に資産が貯まらない状態のことである。
働いても、働いても、一向に資産が貯まらない様子が、輪っかの中で、
クルクル回っているネズミに似ていることから定義されていると、
ロバート・キヨサキが自著「金持ち父さん貧乏父さん」の中で語っている。
それがまるで自分の人生のことを書かれているように思ったのです。
人生のラットレースから抜け出す決意
このままではダメだ!
どうにかこのつまらない人生を変えなくてはならないと思うようになりました。
でもどうやって???
必死で考えました。
何かないのか?
何かあるはず!
そうだヤフオクだ!
ヤフオクしかない!
この時、もっとヤフオクで稼ごうと決めたのです。
この本を読んで、すっかり影響された僕は起業する決心をします。
これから間もなくして、起業するために今治市から人口の多い松山市へ引っ越すことになります。
見よう見まねの小さな起業
開業するにあたって、何をすればいいのかさっぱりわからないので、個人事業主のなり方といったような本を読みまくって勉強しました。
今思えばかなりの勢いで、個人事業主として小さな店を出店しました。
店と言ってもお金もないので、知り合いに紹介してもらったショップの2階を間借りです。
8万円ほどの家賃を折半、家賃4万円,8坪ほどの小さなお店でした。
内装は、ほとんどお金をかけないようにとホームセンターで買ってきた一番安い板で棚やカウンターを自分で組み上げて作ったチープな店です。
材料費や工具を含めて5万円もかからないくらいでした。
なんとか店っぽい感じにして迎えたオープン初日、
もちろんお客なんて誰も来ませんでした。
そんな日が何日も続き、このままではさすがにヤバいのでなんとかパソコンで出来の悪いチラシを作りました。
近くのマンションへ無断でポスティングしたり、商店街の人に注意されながらも街頭でチラシを手配りをしました。
それが功を奏したのかわかりませんが、少しづつお客さんが来るようになりました。
その頃はブランド古着を買い取ったものをヤフオクに出品していたのですが、買取資金に余裕もないので常に困っていました。
当時はヤフオクバブルの時代でした。商品さえあればいくらでも売れるのにと悩んでいた時、人のものを預かって売ればいいと閃きました。
ヤフオクで売れた金額の30%を頂くといういわゆる委託販売、ヤフオクの出品代行します。というキャッチフレーズで地元紙に広告を出しました。
そのヤフオク出品代行も口コミで少しずつ広まっていきました。
そしてここから一気にヤフオクバブルの時流に乗りました。売り上げは順調に右肩上がりでどんどん増えていきます。
僕が人生を変えるためにやめたこと
この数年間はほぼ家と店の往復だけでした。
営業時間中はヤフオク出品代行と買取の受け付け、銀行の振込確認、ヤフオクで売れたものの発送をします。
ヤフオクに出品する商品の写真は、店を閉めてから夜に商品撮影をしていました。
友達と会うこと、大好きだったテレビ、TVゲームも全部やめて、とにかくヤフオクだけに集中することを決断しました。
週に1回の定休日も常にヤフオクの出品をしていたので家族との時間もありません。
まだ小さかった子供もあまり家にいない僕には全然なついていませんでした。
仕事を終えてフラフラになって家に帰る頃にはもう深夜になっている日も数えきれないほどありました。
あまりにも毎日帰りが遅いので、嫁さんは絶対にどこかで遊び歩いていると思われていました。それが原因でかなり喧嘩もしました。
しかし、この時期にがんばったことで信頼を得ることができ、お客さんがお客さんをたくさん紹介してくれました。
とにかくヤフオクに商品を出品さえすれば、ガンガン稼ぐことができるとわかっていたので必死でした。
なぜそこまで必死だったのかというと、人一倍、負けず嫌いな僕は自分がはじめた事業で失敗する事を強く恐れていたからです。
詐欺にあう
実はこの頃、詐欺にあいます。50万ほどやられました。
当時プレミア価格で取引されていたNIKEのスニーカーを格安で譲ってくれるという、今思えばうますぎる話でした。
まだ若かった僕は、人を疑うことを知らずにまんまとその話に乗っかってしまったのです。
高い勉強代でした。
だまされた事で精神的にかなりのダメージを追いましたが、日々の忙しさがそれを何とかうまく誤魔化してくれました。
引っ越し、ホームページで全国へ発信
この頃、忙しさはさらに加速します。
間借りではじめた店舗が売り上げが上がるにつれ、手狭になってきたので、引っ越すことになります。ついに間借りの二階から一階へ進出です。
ちょうどこの頃にホームページを作ります。
そして地方から全国へとターゲットを広げることにしました。
これがうまくいき、さらに全国からたくさんの良い商品が入荷するようになります。
ヤフオクへ出品待ちの商品は常に山積み、商品撮影に疲れて、そのまま店に寝泊まりする日も多くなりました。
さすがに出品に手が回らなくなったので、バイトをやとってどうにか効率化することにしました。
銀行のATMで毎日、ジーッ、ジーッという何十件もの通帳基調の音が快感でした。
収入もどんどん上がります。
普通に会社勤めしていては、なかなかもらえないくらいの金額を毎月、家に持って帰ることができるようになりました。
税金から逃れるために会社設立
しかし、このまま個人事業主のままでいると、多額の税金を支払わなければなりません。
いろんな手続きが面倒でしたが、ついに会社を設立することになります。
書類を作成して法務局へ行ったり、公証人役場に行ったりはじめてのことだらけで大変でした。
まさかミュージシャンの夢に破れたフリーターが社長になるとは思いませんでした。
ヤフオクで稼げるようになって変わったことは、欲しい物をあまり迷うことなく買えるようになりました。
一着六十万円の服を買った時、稼げるようになったなと思いました。
税務署からの電話
平穏な毎日は続くものではありません。
ある日、携帯に見慣れない番号から電話がかかってきました。
噂に聞く税務調査の連絡でした。この時はかなりドキドキしました。
詳しくは書けませんが、2日間の調査を経て結果的にかなりの金額を徴収されました。
ヤフオクで年商1億突破
会社組織となってからさらに売上げを伸ばすために従業員を雇い、必死に教育をしました。
そして効率を上げるために試行錯誤を繰り返しました。
その結果、ヤフオクで1億円の売り上げを達成することができました。
ネットビジネスで人生は変わる
人生とはわからないもので、もしあの時ヤフオクと出会っていなければ今の自分は何をしていたのだろうと思うことがあります。
きっかけはささいな事でも、人生が大きく変わってしまう事を体験した僕は常にインターネットビジネスの可能性を探っています。
現在はヤフオク関連の業務はほぼ全てスタッフに任せ、amazonを中心としたせどりなどに取り組んでいます。
このブログではネットビジネスの実体験において、これまで僕が実際に実践してみて良かったこと、
失敗事例や本当に役に立った有益な情報を配信していきます。
ネットビジネスで稼ぐことに興味がある人はご購読ください。きっと損はさせません。
一人でも多くの人が稼げるようになってもらえたら嬉しいです。金なし、コネなしだった僕がどうやってヤフオクで1億稼いだのかその方法を具体的にレポートへまとめました。
僕がヤフオクで一億稼いだ戦略をまとめたレポートを無料でプレゼント
自分から動かなくても売れる商品が集まる仕組みや 在庫リスクなしの稼ぎ方などを解説しています。
あなたがもしヤフオクをやっていなくても ひとつの稼ぎ方として知っておいても決して損はありません。 興味があれば下記よりレポートの請求をお願いします。
レポートを請求されますと僕のメルマガに登録させていただきます。